知の巨星、落つ。−太田龍氏、ご逝去−

cotton1031pct2009-05-20

昨夜、小石師から太田さんが亡くなられた連絡が来た。

引用は本日確認出来たサイトから。

太田龍氏は09年5月19日午前、肺炎のため永眠なさいました。謹んでご冥福をお祈りいたします。尚、小社では脱稿済みの氏の著作、翻訳作業の細部指示をなさった監訳書等の刊行を予定しております。書名・発売日等のお知らせは随時、本HP上で公開してまいります。合掌

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お会いした時から、「顔色、すっげー悪いなァ…;」とは思っていたが、近頃は色々体調を崩されていた様子。

むかーし、表立たない事務的サポートしてたりした事もあって、都度キリストの事を伝えたりもしてたけどね…


結局、いのちの君の方ではなく、菜食とか飲○療法とか、物理的な方へ行ってしまった。


小石師も言っていたが、私も


「出来ればちゃんと、真理を理解して欲しかった」


そう、思います。


今は太田氏の全て、霊が、魂が、主の領域にあって、この世に干渉されない事を感謝するだけです†


やはり人間は知に富み過ぎると、神に盲目になる気がします。

…肉の頼みなら、わたしにも無くはない。もし、だれかほかの人が肉を頼みとしていると言うなら、わたしはそれをもっと頼みとしている。わたしは八日目に割礼を受けた者、イスラエルの民族に属する者、ベニヤミン族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法の上ではパリサイ人、熱心の点では教会の迫害者、律法の義については落ち度のない者である。しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、糞土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。すなわち、キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり…

<ピリピ人への手紙 3章4節〜10節>

考え考え、『自分で消化出来てから』神様を信じます、と大抵の人は言いたいのだろうけど、
『自分なりに理解出来たら』つまり『証拠があったら』というのは、結局“信じる”って事じゃないと、逆に思う。


「あの人よく判らないけど、私、信じる」


神様のことだって信じ方は基本、同じと思うんだけど……



限りなく神に漸近線だった、太田龍氏の働きを祈念しつつ

†くしき主の光


1.くしき主の光こころに満つ
御(み)空渡る日の陰に優る

ああ主よ、我が主よ、
輝く御姿を
胸に映すとは我が主の恵み


2.
くしき物の音はこころに満つ
口に言い得ねど、主は聴きたもう

ああ主よ、我が主よ、
輝く御姿を
胸に映すとは我が主の恵み


3.
春ののどけさは心に満つ
鳥は声清く、花は香る

ああ主よ、我が主よ、
輝く御姿を
胸に映すとは我が主の恵み


4.
愛の喜びは心に満つ
かくて我が歌は、ついに成りぬ

ああ主よ、わが主よ、
輝く御姿を
胸に映すとは我が主の恵み


Melody:日本バプテスト連盟『新生讃美歌』
Original Melody: Sunshine in My Soul
English版の方は、オリジナル音調なので邦訳メロディと異なります。「ああ主よ、我が主よ」の辺り。