8月6日 広島 

2008-08-06記
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キッズ平和ステーション・ヒロシマキッズ平和ステーション[ヒロシマ]

サダコと原爆:昭和20年サダコさん2さい

平和なくらしがもどってきた。

  戦争が終わりました。「75年間は草木もはえないだろう」といわれた広島にも、すこしずつ建物(たてもの)がたち、人がもどってきました。サダコさんの一家も、ふたたび広島の中心部で理髪店(りはつてん)を開くことになりました。

ソース:昭和24年サダコさん小学生に

赤字は綿による。

さっきNHKの特番で、残留放射線は短時間でほとんど無くなる、というアメリカ軍のデータ、そのデータ*1を根拠に厚生省が、後日被爆認定希望者を否定し続けている事を放映してた。


放射能半減期って、メッチャ長かったよね?
トーシロの私ですら、その程度は判っているんですけど、えー、数時間で殆ど無化、って、で、何十年と草木も生えない、って?
(T□T)ウソをつく時は本気でつけェ! ←コラコラコラ!!#

広島平和記念資料館HP:広島平和記念資料館

長崎原爆資料館http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/museum/


今日、会社でもなーも話題にならなかった。
ホンットにマッタク、つまらねぇ会社だぜー。
何でこんなダサい会社に導かれたのかって言うと、私がダサいからかっそうなのかっ#
うきー(`曲´;


だんだん、こういう事が人の口の端にも上らなくなって、
風化していってしまう事が怖い#←あ;


残留放射線の『ほとんど無くなる』と言うのは、科学的によく判らないから、
「無くなるんじゃん?」「つか、無くなるだろフツー」的思考で“決めた事”なんだね。

当時の会話、よく判らんが、ノリとしてはよく想像描写出来ていると自負しております(酷)


広島はプロテスタントが、長崎はカトリックが多かった、と聞いた事があります。
エノラ・ゲイ機の乗組員は、全員ユダヤ系だったとか。


でもこんなのは、【陰謀】の内に入りません。(フン#)


大事なのは、

『その時に直面した時、 自 分 は どうするのか』

なんだと思います。


原爆で消えた街 たった一人の鎮魂 広島・原爆忌
8月6日11時7分配信 産経新聞



慰霊碑の横で原爆犠牲者の顔写真を展示する山崎寛治さん=6日午前9時30分、広島市中区平和記念公園(恵守乾撮影)

 人々が祈りをささげた原爆忌の6日朝、広島市中区平和記念公園の一角に立つ碑の前に、山崎寛治さん(80)=広島県府中町=が100枚以上の写真を並べた。かつてこの場所にあり、原爆で消えた町・天神町の住民たちが写っている。平和記念式典会場のそばで毎年、たった1人で続けてきた鎮魂の営み。「思いだすことがこの町で亡くなった住民の供養になるはず」と話している。
 「この人は針工場のお嬢さん。明るく元気な人じゃったね。こっちはカミナリおやじと呼ばれとったかな。みんなこの近くに住んどったんよ」
 山崎さんは、写真に興味をのぞき込む若者らに住民を紹介する。そばを流れる元安川でみんなで川遊びをしたこと、空き地で野球したこと…。そして、かつてこの場所に活気あふれる町があったことを伝えると、若者らはみな驚く。
 「みんなごく普通の人だったんだけどね」。写真に写っている約200人のほとんどが被爆死した。
 原爆投下の日、山崎さんは、教練を担当していた母校の県立広島第2中学校で被爆した。目の前で閃光(せんこう)が走った後、気がつくと、つぶれた校舎の下敷きになっていた。自力で這(は)いだしたが、ガラスが全身に刺さり、足にもけがをして動けず、その場で一晩過ごした。目は腫れてよく見えなかったが、あちこちでうめき声や叫び声が聞こえた。しかし、朝が近づくにつれ、1人、また1人と声が絶えた。
 翌日、這いずりながら約1・5キロ離れた天神町にたどりついた。ところが、そこには旅館や商店が並んでいた町はなく、動くものは何一つ見あたらない。人影はあったが、すべて亡くなっていた。
 山崎さんは、近くの川の濁った水を飲み、カニを捕って空腹を満たした。強烈な日差しに焼かれながら、数日間家族の帰りを待った。だが、母たちは骨すら分からないまま。さらに、教え子たちも学徒動員の作業中に天神町の近くで被爆し、約340人が全滅したことを知った。「すぐかたわらにあった遺体が生徒の1人だったかもしれない」。そんな思いもした。
 戦後、広島を離れ大阪や山口などで働いた。天神町の跡地は平和記念公園の一部になり、地名もなくなった。山崎さんは「住民を思いだすことで供養したい」と、集めた住民らの写真を原爆忌の日に、犠牲者の名が刻まれた碑の前に並べるようになった。2年ほど前、住民の遺影が、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に登録されていないことに気づいた。山崎さんは登録を申請したが、遺族ではないことを理由に断られた。「いつか遺族と出会うこともあるのではないか」との思いもある。
 6日は、63年前と同じような照りつける日差し。「こうやって思いだしたり、話したりすることで供養してあげたい。祈念館に遺影を飾れるようになればうれしいんじゃがね」。そう話す山崎さんの周りには、大勢の人が輪を作っていた。

ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080806-00000927-san-soci

神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。
そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。<創世記 1章26節>


人は神の似姿。

だから、人を殺したりする事は、神に対してするのと同じ、重罪なのです。

当然、神の作品全て−動植物、自然−に対しても、同じ事です。

*1:DS86という、【陰謀臭】フンプンなシロモノ。造語週間。