長崎 原爆投下時間 午前11時02分

cotton1031pct2008-08-09


長崎原爆資料館http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/museum/index.html

原爆投下、市民殺りくが目的
米学者、極秘文書で確認

1983年8月6日(朝日新聞


原子爆弾が広島に投下されてから6日で38年。これについて米最高首脳はこれまで「軍事目的に限定して使った」(トルーマン大統領回顧録)としてきたが、実は「日本への原爆投下の目的は一般市民を大量殺りくすることにあった」とスタンフォード大の米歴史学者が極秘文書で確認、近く出版する本で発表する。また広島、長崎に「米人捕虜がいる」と英国情報部などが警告したのにもかかわらず、米政府はこれを無視したという。(パロアルト<米カリフォルニア州>菊地特派員)

スタンフォード歴史学部のバートン・バーンスタイン教授は、原子爆弾が日本に投下されたとき、まだ小学生で、辺りの人々が「これで戦争が終わった」と喜んでいるのを記憶している。しかし、スタンフォード大で歴史学を専攻するうち、なぜ人々が原爆投下を単純に受け取っているか、について疑問を持ったという。あのころドイツが降伏し、日本だけが世界を相手に戦っていたのになぜ原爆を使わなければいけなかったか、についてである。この疑問を解明するため米軍事外交文書を研究するうち、“歴史の偽り”を発見したという。
同教授が入手した極秘文書によると、1945年7月31日、原爆投下についてスチムソン米陸軍長官を囲んで最高会議が開かれた。その際ノーベル賞学者のE・ロレンス博士(サイクロトロンの発明者)は「科学者としては原爆を直接日本に投下したくない。まず米国の砂漠などで世界の代表者を呼び、公開の場でその威力を見せるべきだ」と主張した。しかし、他のメンバーたちは「もし原爆が不発だったら世界の笑いものになる。ともかく日本へ投下しよう」と主張して決定を見たという。
投下地点の選定については、「軍事施設のみという科学者の主張に米軍側が強く反対し、結局、民間人を大量に殺りくすることが決定された」としている。
人類初の原爆は“効果半径”約1.8キロ。同教授の入手した米空軍史(部外秘)によれば、「その火の玉を広島の住宅密集地、商業地区に投下せよ」との命令が出ている。投下時間は午前8時15分。「これは工場労働者が仕事を始め、市民の子どもたちが戸外に遊びに出る時間帯。米軍はまさにそこを狙ったのだ」と同教授。
しかしトルーマン大統領はその回顧録で「原爆は非戦闘員の婦人、子どもを避けて、軍事基地だけに限定して使った」と書いている。
この広島原爆で護送中だった米人捕虜23人が死亡した。この事実は1945年10月9日、国際赤十字が確認したが、米当局は公表を避けているという。同教授によれば、それは、原爆投下の直前、米国は英情報部から「広島に米人捕虜がいる」と通告を受けていたがこれを無視したからだという。
米戦略空軍司令部の極秘電報(45年7月30日付)によると同司令部は長崎には米人捕虜収容所があることを確認、ワシントンに打電した。しかし投下は強行された。結局、長崎の原爆は目標を少しずれたため、約1400人の米人捕虜は助かった。
同教授はトルーマン大統領の内政、外交政策について研究を続けるうちに、あるときふと、「広島で米兵捕虜も爆死しているのではないか?」という疑問を抱き、政府や軍に当たったが答えは得られなかったという。
しかしその後、ワシントンの国立公文書館で「極秘」扱いを解かれた兵士らの「軍歴書」の中に、「ヒロシマで戦死」との記述を見つけ、米兵捕虜被爆死の事実を確認した。
とはいえ、軍歴書は、乗機を撃墜され捕虜になって広島で死んだ、としているだけで、それが原爆によるものであることにはまったく触れていない。その遺族らも、被爆死どころか広島で死んだことすらも知らされておらず、日本上空で撃墜され戦死、あるいは戦傷死したものと信じていた。
政府が秘密にしていた理由について同教授は「米国民の大半が支持した原爆投下で米兵が殺されていたとなれば、世論は批判にかわり、第2次大戦直後の冷戦激化の中での核戦略に重要な影響をもたらす、と懸念したからではないか」と語り、「一般市民はもちろん、味方の軍人まで犠牲にしても平気な“戦争の狂気”を告発したい」といっている。
バーンスタイン教授はこれらの新発見を基に近く「核軍縮への道」(仮題)という著書を出版するが、「米外交文書の公開は軍事機密に関しては特に厳しい。1978年に資料要求したものが最近やっと数点入手できたほどだ」と語っている。


(注)原爆の投下目標として検討された都市は東京など16都市があり、最後に広島、小倉、長崎の3目標に絞られた。8月9日の第1目標は小倉だったが、天候その他の条件が悪いときは長崎に投下すると決まっていた。


一部抜粋ソース:http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/atomic_bomb.html

研究開発者、ってのは、殆どがロクでもない連中。*1

身近に居るので(爆)よくわかーる。


税金食い潰すのも平気だし、見込み発注アタリマエ。
使途不明金も経費落としさせるし、名誉欲が実力を遥かに超えて凄まじい;


直すクスリは“ 死 ”だけかと思われ。

( ̄^ ̄)クスリがあるだけマシっすね


“…その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が、彼らに与えられた。
彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと、言い渡された。
彼らは、人間を殺すことはしないで、五か月のあいだ苦しめることだけが許された。彼らの与える苦痛は、人がさそりにさされる時のような苦痛であった。

その時には、人々は死を求めても与えられず、死にたいと願っても、死は逃げて行くのである。<ヨハネの黙示録 9章3〜6節>”



その丘のところで、髪をヨモギのように振り乱して、
近くのヒラヤマさんが居られました。
『今日は、誰も助かった者、おらんとですよ』。
『お宅のお父さんも、庭でなにかゴソゴソしておられたし、
奥さんも、昼時でお家だったろうし、妹さんは大学病院に』、
(影浦内科に居たんですけれども、)
『大学病院だったし、恐らくだめでしょう』というお話を聞いたときに、
私は、へなへなと座り込んでしまいました。
で、その時に私は、旧約聖書にある、
ヨブの言葉を思い出して、口ずさんでおりました。
『主、全ての物を与え、主、全ての物を取り去りたもう。
その主の名は、いつまでも讃えられますように』という、
祈りを私も真似てしておりました。
アベマリアという、マリアに捧げる祈りがあるんですが、
それを1回したか、2回したか、
それが終わったと思ったその時に、私はすっくりと立っておりました。
今まで抜き取られておった背骨がぐっと差し込まれたような気持ちがしたんです。

ヨブの言葉を思い出し:ホームページ移転のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズ

私たちやっぱりカトリック信者っていうのは、
もう現世界で起こるすべてのことは、神の計画であり、
また神自身がなされることだということを信じていますからね。
人が実際に手を下しても、まず神っていうものを考えますのでね。
私の受け取り方はまずもう普段からやっぱり信仰を厚く持って、
真面目に生活していた人はそれほど不幸であるとは思わないんですね。
原子爆弾で苦しんだから、神様がいじめているとか、
あるいは不幸にしたとか、ホントの信仰を持ってる人は
そういうことは絶対に思わないでしょうと思うんですね。
私自身がそうですから。
まあ、この後においてそういう核戦争があるとすれば
「神の意志」だと受け取りますね。
起こるとすれば「神の摂理(神が人の利益を慮って
世の事すべてを導き治めること)」だと思いますね。

起こるとすれば「神の摂理」:ホームページ移転のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズ

浦上天主堂カトリック浦上教会 - Wikipedia


浦上天主堂被爆聖アグネス像
ウィキペディア・コモンズより

*1:本物の研究開発者がロクでもないので、「自称・研究開発者」なんて、小バエほどの価値も無いです、ハイ。