きっちゃんのこと−御国で会えるまで、キミを思い出す−

きっちゃんと出会ったのは、会社が神田(千代田区!)からアキバ(たいとうく・笑*1)へ移転し、まだまだ銀行業務やらナンヤラがあって、神田とアキバを新兵器・チャリで行ったり来たりしてた頃だ。


チャリ〜♪っと、「へー、こんなトコにこんな店あんだぁ♪」とノー天気に、ほどーほどに車の通る道を走っていると、あれま、見るからにその頃ウチに居た最長老のミカ・ジィに体型の似た、お猫サンがゆっくりと道を横切る。

車道に止まって、まぁ、車は少なくとも通れば私に対して停車するのが筋だろう(笑)ってなもんで、その子が渡り切るのを見届けたんだけど、気になってその子が入っていった路地を見ると、そこも“こんなトコにこんな店が”通りで、お蕎麦屋さんや、ジンギスカンのお店があった。店はランチが終わった中休みの時間帯で、どちらの店もクローズしている。

これ幸いと、その辺りで毛繕いを始めた子に、ヒューと、コンビニ行って、シャーと、戻って猫缶あげた。

“第一日である。”(笑)

その翌日に、彼が前で毛繕いしていた、お蕎麦屋さんに行ってみた。

開店していても、居るんじゃない!


そば食べ終わった後に、丁度店のお兄哥さん風店員さんが、残りゴハンをあげていたので、気に掛けてくれている人が居るんだ、と安心はした。

お兄哥さんは、「こいつ“吉”って言うんだ」と教えてくれたので、「じゃァ、“きっちゃん”だね」

他にも、決まった時間に必ず現れる事、よく体を掻いている事など教えてくれた。

痒そうなのはノミのせいだろうから、「今はいい薬があるから、持ってくるね」と約束し、後日彼を触れる兄哥さんにつけ方を伝え、「言われた通り、やったよ。全然痒がらなくなった。あの薬、すごいね」とメールで報告をもらえたりもした。


神田方面に所用があると、必ずきっちゃんの路地を見て、お店が盆休みの間は、カレンダー無縁の出社な私がゴハンを担当し♪、ジンギスカンのお店のママさんも、彼を“銀ちゃん”と呼んで(笑)ゴハンをあげている事を知り、きっちゃんも私を認識し始めた頃、

1ヶ月周期でつけるフロントラインが切れる頃なので、新しいものを用意して行こう行こう、としていたある日、ようやく寄れた、と思ったら、兄哥さんが淋しそうに「来ないんだよね…ここ暫く」と。


今度来たら、飼ってあげたらどうか、と提案するが、彼女が猫嫌いなんだそうだ。

私はその時3匹で一杯一杯だな、と考えていたので、何が出来たか判らないが、「また見つけたら、連絡して下さい」とだけお願いした。何が出来たのか、判らないけど…

いくら食べても太らないんだ、コイツ、と聞き、ヒョロっとした体型からして、当時の猫エイズ(FIV)のキャリアだったジジともダブり、恐らく同じなんだろう、と、とても気になって気になって、なってるだけじゃ、意味無いんだけどな#


「本当にあれから見なくなった。ほとんど毎日通ってくれてたのに。淋しい」とのメールに私は、兄哥さんはよく可愛がってくれてたと思うよ、ほとんどの外猫ちゃんはそんな風に心掛けてくれる人が居ないんだから、もしまた見掛けたら、お願いします、と、

慰めてんだか、嘆息そのものなんだか、よく判らん返信してた。


自分が至らなくて、指の間から零れ落ちる水みたいに、いのちを零してしまった事が、これだけじゃなくて、まだあるし、自覚してない分は、まだまだまだまだまだあると思う。


それでも、至らなくても、少しでも塞ぐ作業を続けるしかないと思う。





外猫さんとは思えぬ、銀地に薄いクロのトラ縞、すすけていても、

どこまでも上品なシマシマだったきっちゃん。


ほとんど『一見さん』な私に、目ヤニ取りや耳掃除をさせてくれて、本当にありがとう。



天国でまた、会いましょう。








保護して肉は付いたものの、まだビミョーな距離感なミカ。
歴戦の傷跡と立派なタマタマ、
堂々たる風格です(^ ^;

*1:しゃちょーと波乗り君は都落ちと評す。その前にさァ、まっとーなる人間精神を獲得すべく這い上がって来なさい(爆)