ミルちゃんのこと−多くの善き事は、血の犠牲の上に成立つ−

ミルちゃんは、まだカリカリも食べられるか食べられないか、位の大きさだった。


早天*1に行く前に、“朝早く一団となって歩け歩けな年季行ったオバサマたち”が路上の何かを見て、「ひゃー!何?!やぁだ、可哀想!」とか何とかしゃべりながら、立ち去った辺りを私が行くと、ミルちゃんの痛々しい骸があった。


何か、高い所から誤って落ちた、って思いたかったけど、直感的に『違う』って感じていて、

もーその後は、早天、よりミルちゃんの事が優先で*2、ミルちゃんの骸を柔らかいもので包んで、礼拝に一緒に行った。


恵まれたのは、その日、私しか礼拝参加者が居らず*3、自分だけの祈りの後に、ミルちゃんを教会前の土に寝かせたり、祈ったり、ミルちゃんの為に時間が聖別されていたこと。
ちゃんと神様は見ているんだ…


何でミルちゃんかって言うと、その時、ミルちゃんの可愛い目が本来あるべき処に無かったから、天国で沢山、良いものを見て、エスさまも見て、と思ったから。

ミルちゃんの目は、もっと沢山、新しいもの、素敵なものを見るように、と、神様がちゃんと創ったにも関わらず、

忌まわしいモノが、それを破壊した。


私は絶対に、ミルちゃんをあんな目に合わせたモノ、者、じゃないよ!!そいつを許さない!


よく考えて欲しいよ。


自分より脆弱な存在に、よくもそんな惨い事が成し遂げられるよ、そんな連中をよく放置してて平気だよね!?



現行法は甘過ぎ!!!



もうさー、松原潤みたいな動物虐待者は、その場で射殺とか、股裂きの刑とかでいーよ。
エコになるし。
*4

連中の死を悲しむモノも、同罪(笑・死刑の連鎖だわよ)


と言うわけで、どういうワケで?;(−−;


ミルちゃんのことを、私は忘れないのであった。*5


ミルちゃんが居てくれなかったら、

こげんたちゃんが耐えてくれなかったら、

他にも今まで擦違ってきた子達…がそこに居なかったら、

私は今まで頑張らなかったと思う。


だから、何か自分で善行を少しでも成せた、現せた、としたら、それは彼らの血の犠牲の上に成り立っている、そういう事なんだよね。


神は私自身には何の力も与えてない、それは実に正しい事なんだ。


血の犠牲があるからこそ、私のなにものかが成り立っているんだ。


<Image Photo>

よく言っておく。

あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、

あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。<新約聖書 マタイによる福音書 18章18節>

*1:早朝礼拝。大体5時台に始まる。

*2:礼拝だから、といって、いのちを見捨てる、蔑ろにする、ってのは私の信仰じゃないな。

*3:牧師先生も寝〜?(笑)

*4:連中の吸っている空気がもったいない#っちゅう理屈で。

*5:他の子の事も含めて、今天上に居るニャンたちの啓示をもらった時は、本当に恵まれた。ちゃんと、私も同じ処に行ける様に努めたいです;主を信じたからモー安心、とか己惚れずに;辛い処から掬い取られたと思しき子達が、神の膝やら足元に居て戯れ、安心し切っているところは、涙無しでは語れません。