真剣さを表現する『スキル』とは。
『ニューヨークの恋人』と言う映画の、英訳付きシナリオ本を読んでいる。
この本、英語学習の為に編纂されているものだが、実際に公開された映画の前段階のシナリオを元に構成されているらしく、映画には無いシーンがかなり入っているのだ。
そのストーリーの中で、主人公の一人である1876年から現代へタイムスリップして来た公爵が、ヒロインに詫び状を兼ねたディナー招待の手紙を書くシーンがある。
映画では単に、コップに溜めた複数のボールペンのインクと、居候している部屋に飾ってある鳥の羽を削って作った羽ペンとで、そのラブレターを書くのだが、
最初のシナリオでは、公爵は、何度かボールペンで手紙を書こうとトライし、ボールペンの余りに細く、頼り無げな線にイライラし、何度も書き直す、周りには書き損じた紙が散乱している、とあるのだ。
書き損じ、書き損じて、終に先に書いたような行動を取る訳である。
愛しい人への、我が一心を込めた手紙、徒や疎かにしてなるものか
という訳だ。
件の恋文を受取り、会社の会議中にそれを見たヒロインは、その
『優雅な文体で書かれた』
『恋文を』
『送られた』
事、に驚いてしまい、上司の質問にシドロモドロな出だしで慌てて答える。
このエピソードで、マルっと卑近な思い出話復活#
昔々ある所に、おじー…じゃない!そんな昔じゃない!!←悪足掻き
中学2年の時、3年?もう覚えてねーよ。
まぁその辺。(笑・もぅオボロゲな記憶である自体…)
今風に言うと(?)コクられた事があって、それが
最 悪 ! !
(メガトン級な)
相手は
『電話で』
『私が見た事も聞いた事もない“先輩”を通じて』
『好きだと言ってもらって』
告げてきたのである。
そこでソッコー振るのが、真の親切、と言うものなのだが、如何せん、“右も左もわきまえない”只の田舎女子ちゅうがくせー#
「振ってしまうと、可哀想」
等と考えてしまったのである!!!Oh!モゥ!Nooooooo!!
お前のアタマが可哀想!だよっ!(泣)
そっからがもー、ナンつーか、“メンドクサイ”の一言。
イチイチ、登下校一緒にしてみたり、プライベートな時間使って(爆・オイ)学校以外で会ったり“しなくちゃならなくなって”、母親亡くしたばっかで家事も“しなくちゃならなかった”私には、全くもって、
人生のムダ
あるいは苦痛、としか思えなくなった時期が出来ちゃったコンコンコンコン♪降れ降れ雪♪人生人生ブリザード♪#
あれは本当、バカだったねー。
情けは人の為ならず、って、思い切り 敢 え て 誤 用 したくなりました今更(笑)
如何に自分が真剣か、伝える術を持っている、表現出来る、と言うのは、
生きていく上で実に必要な能力、技能である、と思う。
マトモな人なら、真摯で慎重なアプローチに、その答えが「否」であっても「不可」であってもまた、
真摯に慎重に回答するだろう。
ウザくて、チープなやり方には、マジメに対応するのもうんざりしてしまう。
そー、それで何が言いたいかって言うと、
高尚で、優雅なやり方は、人を揺さ振る が、
安っぽい、愚劣極まりないやり方って、マジ人の人生に汚点−うっとおしい思い出−を残すよな、
という、
何だ人のせいか#(爆)
(まぁ、ヒュー・ジャックマン最高!って事で勘弁してよ・笑)
“良い思慮は好意を生む。裏切り者の行いは荒い。”