「アナタなんか、宗教人じゃないよ!」とかまた新たな勲章を得(爆)−何が言いたいのか意味不明だし−

 
接待で、珍しくおぢさん達の中に2人も『私はカトリック』『クリスチャンでした』と、関係者が居た。


前者はあんま話してないから置くとして、


なんか、後者は絡む、絡む(笑)


この酒の席で棄教でもさせよう(爆)って位、絡んできます⇒酔ってます。
呑まれるなら呑むなって!(−−;

クリが呑まれて、いつ説教する?!*1


んー、多分、その人、「キリストに出会ってないのに、なんか洗礼とかギシキで“クリスチャン”になった系」だと思われ。


私のWhy?に対して、

「自分の罪は赦されない、と思った」


…おーいぃ、聖書をチャンと酔え、もとい、読めー。

あなたはわたしのさばきを無効にするつもりか。

自分を義とするために、わたしを罪に定めるのか。<旧約聖書 ヨブ記 40章8節>

丁度、本日の礼拝でも小石師が引用↓、

「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。

「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、
雪のように白くなる。

たとい、紅のように赤くても、
羊の毛のようになる。」<旧約聖書 イザヤ書 1章18節>


なんで、主イエスの十字架を仰ぐ者は全ての呪い、死から解放される、という『主の裁定』に対して、あたかも“神を越えるが如く”に「自分は赦されない」と決めて掛かれるのか、

不思議( ̄  ̄?


今日、小石先生と話したところ苦笑と共に、

「その人、元からクリスチャンじゃなかったんだよ。“だった”も何も無い」


私もそれは遠回しに言った(−−)

『般若心経』と『アインシュタイン』を薦められたが、




自殺でもしなきゃいいけど。*2

*1:つーか、未信者より酒強いのは、別種問題じゃないのか?(爆)

*2:祈るけどさ、自由意志があるからね、誰しもね…