ついでにもう一つ言わせてくれ#−ブラック・ジャック、ストーリー改竄について#−
『ブラック・ジャック』(以下、BJ)は、OVAにもかなりなっているのだが、そのアニメ化のハシリの頃、ちゃんとレンタルで観ておりましたぁ!!#(←やっぱ#なのね・笑)
監督が出崎、作監が杉野とゆー、イワユル一つの“ゴールデン・コンビ”がやっちょったんですが、例えこのペアが大好きな『あしたのジョー』及び『あしたのジョー2』を、巧みに、完璧にこなしていようが、そんなのBJとは別物の話です。関係ありゃしません。贔屓目なんて一切ナシ!(−−#
BJ@彼らのOVAは
サァイテ―――ッ!!
でした。
北海道(札幌?)の話だったか、エンディングの別れ際に、無意味に女子高生にキスするし(額にだけど)*1、特に南米らしき国の内戦の中で、神憑りで手術した神父を、神父に化けたテロリスト、とかバカバカしい、マジで話の本質を捻じ曲げた無意味不鮮明役立たずな設定に改竄した事には、
今思い出しても(▼曲▼#
ブチ切れそうに(▼曲▼#
なりますヨ#(▼曲▼#
あの頃私はクリではなかったと思うが、その感性でも、道場仕込みか「畏れ」感覚はあったので、卑しくも“神”が語られている話を曲げるかよ!的に相当ムカついてた。
あの話(マンガの方)を書いた頃の手塚治虫は、確かに仏教(『ブッダ』)変遷もあったけど、キリスト教、と言うか、“神”の香りを求め始めていたんだし、当時見よう見真似か知らないが、その後の『聖書物語』への着手を見れば、何か、そうだ、神の深淵を覗くような、何かがあって、それを描きたかったんじゃないか、と思っている。
(タダでさえ、BJはいのちを取り扱う作品性から、知らず知らず“神”との対話が入る面があった)
等と言う話を、昔虫プロで働いていて、今でも思い出したようにその頃の(!!)コミッションがたまに入金される、とか言う伯父と話をした事があったけど、明けましてお目出とう御座います本年も宜しくお願い致します(聞こえねぇー・爆)
で、その伯父から聞いたんだけど、やっぱ未完の『聖書物語』は、作家としてやってみたい的な欲ではなく、個人として聖書を読んで、惹かれたからマンガ・アニメ化を始めたらしい*2。
なので、その流れからすると、BJの中で、
「神の力で、(医学的知識の無い)私はあの難手術をこなしました」
という主旨を述べている神父を、
単なるネタ合わせでテロリストになんぞに仕立て直しをするのは、もはや様々な意味での
冒 涜
以外の何者でもないワケです#
はっきり言って、思い出すのでアニメ『あしたのジョー2』すら見たくなくなりましたもん#
えらいメーワク##
反省しろ!バカどもめ!!