動物は良き友人

最近は、ペットを生活を共にする“アニマル・コンパニオン”と、日本でも言ったりする。

昔2年足らずの短い期間を豪州で暮らした時いいなぁ、と感じたのが、
飼われている犬や猫が、日本で言う“ペット”というよりは、


「互いに種を弁えた、良き友人」


といった感覚が圧倒的だった、という事だ。

勿論、相手が子供並みの知能である事も解っている上で、
生活のパートナー、一部として、
補完し合っている様に見えた。


それから比べると、今までの12年近い日本での信仰生活で思うのは、

“ペット”に対する「教会の見解」が、酷く感性が乾いていて貧しいなぁ、という事。
(まー、ペットに限らないけども)

何と言ったら良いか、“適切な距離を解明出来ていない”感じだ。
適切な距離、それは“=(イコール)聖書的”でもある筈なんだけど…


欧米のキリスト教は、日本の仏教のように、ガワだけが残っていて中身は無きに等しいが、生活の至る所に
『キリストの残り香』のような善き事が、
薄く、張り付いているようで、
そんな欠片のようなレヴェルであっても、この極東の常識に比べたら、
『圧倒的に素晴らしい!!』のだ。


動物への接し方は言うに及ばず、老人、見知らぬ子供、障害のある人に対しても、
平均的な態度が、一般的に皆オトナ!
日本の悪しき風習、「周りの見る目」が無いからか?(笑)
助け方も、さりげなくてスマート。


かの911事件の時、人から動物から、見つかった順に次々レスキューされた、って言うのは、アニマル関係では有名らしいけど、反対に神戸の時は、避難所でペット連れが肩身狭かったらしい。
アメリカのディザスター・ムービーって、大体1組はペット連れの避難民が演出されてない?(^ ^;
参考:http://www.foxjapan.com/movies/dayaftertomorrow/


海外での、私の接した世界が特に上品だった、とは思わない。

海外でも眉をひそめる事もある。


それでも、

どうにも余裕が感じられるのだな、こと国内“些細な”と判断されがちな、日常の動物に対する態度からして。


この差って、やっぱり昔の聖書的基礎の残存『キリストの残り香』だと思うよ。