良き管理者を目指して−聖書にある、人間と動物との正しい距離感−

動物と人間の間


(Q)「人間が神に似せて作られた」というのは一種の人間中心主義のような気もします。


(A)動物と人間の間には、明らかに一線が引かれています。ですから、キリスト教は、人間中心的であると言うこともできるでしょう。というのは、人間は、動物の管理者として創造されているからです。創世記において、「海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」(1・28)と命じられています。


 管理者となることができるように、人間には知性・理性・運動能力が与えられています。


 キリスト教の人間観に立たないと、動物と人間の間に正しく区別をつけることができなくなります。テレビで、ある動物愛護主義者が、「動物の赤ん坊も人間の赤ん坊も価値は同じだ」と語っていました。この人に子供が産まれたときに、この発言どおり子育てができるのか見てみたいと思いました。


 一方、聖書律法において、動物の生命は重んじられています。「動物を打ち殺す者は、いのちにはいのちを償われなければならない。・・・動物を打ち殺す者は償いをしなければなら」ない。(レビ24・18、21)


 人間は動物を管理するために生まれたので、動物を粗末にすることは堅く禁じられています。

 聖書に従って価値を決定することによって、人間は、動物と混同されることなく、しかも、動物を大切にすることができます。


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<<<注意!!>>>この本サイトに書かれている全ての教理、教義に賛同するワケではありません。しかし、この動物に対する距離感と責任感は、綿の信仰と同一である、と言える為リンクします。
面白い読み物も少なくないです(笑)


良いお年を、


自分だけ迎えて悦に入ってんじゃねーぞ!


外猫さんの事、ちょっとでも考えて、おせち料理とか、新年会の料理とか酒とか、不必要に皿に盛って残飯こさえるな!!

残さず喰え!! 


会社の経費で落ちる料理でも、残さず喰え!


食べ物残すな!


食い物粗末にすんな!!



残す位なら、




キサマは



飢えなさいよ



力一杯な!!*1




何がイヤって、平気で食べ物残す連中と会食する事だよー#

それも自分で取ってきて、残すバカ共。


自分の食べられる量すら量れない;
自分の!だよ?!(笑・幼稚園児かっつーの)


取り合えず、サクッとマイペースで!と言う方向け・署名用紙1名用:http://nekohito.org/tangan/tangan1.pdf


年始色々会いつつ楽勝!と言う方向け署名用紙5名用:http://nekohito.org/tangan/tangan2.pdf


ゴメン!忘れない内に、これ位は!と言う方向け・WEB署名URL:
http://www.sora.ne.jp/tangan/form.html

効力は、自筆アリの方ですが、WEBと2本立てでもお願いします。



嘆願書送付先

〒960-8165 福島県福島市吉倉字名倉115-1

有限責任中間法人SORA宛
SORAアニマルシェルター


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お願いします。

*1:あれっ?!今ちょっとネウロ入った?(爆・影響カンタンなやつっ;)