佐世保散弾銃乱射事件に想う−教会は機能しているのか−
それにしても、“御町内会”に堕ちている教会が多過ぎる。
そして、“自分の腹に仕えている”信徒の、まぁ何と多い事か!
確かにねー、言う事聞かないかないからねー、大概の信徒(爆)
それも10年、20年で、紆余曲折を経て尚、ってなら兎も角も、自己流で神学を研鑚している、やたら頭デッカチになった『霊的児童』が一番タチ悪い。
頭ごなしに指導されもせず、かと言って、言われずとも気付くか、と言ったらテンでダメ。
使い物にならないクセに、自説だけは滔々と述べまくる。
我に自信アリ!!ってやつだ。
『頭ごなし』と表現すると、印象悪いが、つまり、
「やれと言ったら、やれ」式の指導に、今現代の人は対応しなさ過ぎだと思う。
先人の『言いなり』や、単なる『反復練習』は、まるで意味が無い訳ではない。
その指導に、遊び半分で至った訳ではないからだ。
勿論、リトル・ペブれ、って言うんじゃなくて##
バカは直ぐ、じゃ、「『頭ごなし』に言われた事を、『言いなり』にやれ、って言うんですか!?」とか言い出しそうだが、(以下当然略)
要は、本質を見抜く事、善悪を見分ける事、他を信頼する事、自分を疑う事、
これらが無くては、信仰なんて“妄想”と似たり寄ったりだ。
で、佐世保散弾銃乱射事件である。
犯人・馬込政義人。
幼児洗礼なら、回心してない可能性大だし、大人になって回心しても、それまでこの世で培ってきた「この世的良識」が邪魔をして、最大遜る事が至難の業。
そんな連中を使い物にするには、もう、聖職者も命懸けになるしかないしね!
ナカナカ、そこまでなれないし!
なっても使い物になる保証はない。
バリ信仰働かすしかないから、そうなってくるとモゥ、
「未信者人生の方が、よっぽど楽」
とか言いたくなるしな(苦笑)
多分、こうだ。
馬込家の破綻を、教会関係者も、多分神父先生も、全てではないにしろ、
若干は知っていた筈だ。若干は。
でも、祈りに至っていなかった、或いは、祈っても、アレよ、
「皆さんで、馬込姉妹(おかぁ)の家庭の為に祈りましょう」
↑↑↑注)そん時だけ。
って按配だったんじゃ?
見てきたように言う、って?
だって、こんなヘタレ光景、プロ*1でも珍しくないからよー
(T T#(苦笑)
自戒、自戒。