名古屋女性拉致殺害事件・母の署名始まる

被害者母上のHP:磯谷利恵

人が争っていて、みごもった女に突き当たり、流産させるが、殺傷事故がない場合、彼はその女の夫が負わせるだけの罰金を必ず払わなければならない。その支払いは裁定による。しかし、殺傷事故があれば、いのちにはいのちを与えなければならない。目には目。歯には歯。手には手。足には足。やけどにはやけど。傷には傷。打ち傷には打ち傷。<旧約聖書 出エジプト記 21章22-24節>

愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」<新約聖書 ローマ書 12章19節>


このように、聖書は“復讐”は推奨していませんが、“償い”はキッチリせぇ、と言っています。


今時は、“償い”どころか、犯人どもをなんとかして「やっちまったモン勝ち」「やり得」にしようと躍起になっているかのような、

キチガイ沙汰とも言える法的処置が多い。


そこに至るまでの過程、なんてものは、二の次三の次であって、
起きてしまった事、起こした事、に対して、の対応が大事じゃないか。


実の親から十分愛されなかった、なんて過去は、犯人だけではない筈だ。
悲観的な将来しか見えなかったのは、犯人だけではない筈だ。ちょ…なに私見てんの?!見世物じゃねーぞっ#( ̄田 ̄#;

そういう事を言う人がもっと要るし、もっと身近に居るべきだろう。


それに、人ならぬ、神なる方が「あなたを」案じている、って事、それももっと喧伝されなければ。


でなければ、

親の目も届かない、彼氏、彼女の目も届かない、知る人も居ない、そんな状況の中で、

人は“独り”と勘違いして、独断と偏見で何でも判断して不幸まっしぐらに、大方なるしかないじゃないか。


でもねぇ、


聞く耳のある者は聞きなさい」とあるように、これがなかなか伝わらないんだよネェ。


まぁ、時が良くても悪くても、それなりにやるしかないンですがネ。